長門市の仙崎港は、太平洋戦争・終戦直後、
海外に残された多くの日本人を「引揚港」として受け入れた歴史を持っています。
当時の写真や記録を集めた展示会が、
長門市の山口県立劇場「ルネッサながと」で9月24日(日)まで開かれました。
長門市の山口県立劇場「ルネッサながと」で9月24日(日)まで開かれた
「引揚港・仙崎展」では、引揚業務の管理で駐在していた
ニュージーランド軍の兵士が撮影した記録写真や、業務に従事していた日本人の手記など
約80点の資料が展示されました。
終戦直後に、海外に残された日本人の数は、当時の人口の9%にあたる
660万人以上・・・・・・。
国は、在外邦人の早期帰国のため仙崎を含む全国の10の港を「引揚港」に指定。
終戦の年、1945(昭和20年)年9月2日、引揚の第一船となる
「興安丸(こうあんまる)」が、韓国プサンから約7,000人を乗せて仙崎へ入港しました。
仙崎港では、約1年間で41万人あまりの引揚者を受け入れ、
反対に帰国する約34万人の韓国、朝鮮人を送り出しています。
港から鉄道の駅までの手荷物の運搬は、地元の住民が協力に当たった・・・という写真も。