太平洋戦争中、原因不明の爆発によって沈没した旧日本海軍の戦艦「陸奥」の慰霊祭が6月8日(土)周防大島町で行われました。
悪天候が予想されたため、屋内で開かれた慰霊祭には遺族やその関係者など86人が参列しました。
戦艦「陸奥」は1943年6月8日に、岩国市の柱島沖に停泊中、原因不明の爆発事故を起こし沈没。
乗組員1474人のうち1121人が犠牲となりました。
犠牲者の中には、訓練のため6月8日の朝に陸奥に乗り込んだ海軍の飛行予科練習生124人も含まれています。
この日、96歳と高齢のため参列できなかった生存者の一人・長野県の篠原喜一さんから託された慰霊の手紙を持って訪れた人もいました。
横山和弘住職は「6月8日が近づきますと、当時のことが思われて寝付くこともできないというようなお話をしていました。島の砂浜に御霊のみなさまもやれやれというような感じで腰を掛けてお互い和やかに語り合っているような姿が目に浮かぶようです。」と話していました。
周防大島町は高齢化と世代交代などの課題と向き合いながら、今後も慰霊祭を続けていきたいとしています。