77年前の6月8日、旧日本軍の戦艦「陸奥」が原因不明の爆発によって沈没しました。
毎年、山口県大島郡周防大島町で慰霊祭が行われていますが、今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため初めて中止となりました。
碑の前には、花や果物が供えられました。
周防大島町伊保田に建立されている「陸奥の碑」。
慰霊祭は碑が建立された1963年(昭和38年)から毎年行われていますが、中止となったのは初めてです。
碑の前には、8日花や果物が供えられていました。
戦艦「陸奥」は1943年6月8日に岩国市の柱島沖に停泊中、原因不明の爆発事故で沈没、乗組員1474人のうち1121人が犠牲となりました。
犠牲者の中には、海軍の飛行予科練習生124人も含まれています。
戦艦陸奥の事故は、極秘扱いとされていたこともあり、引き揚げ作業が始まったのは、事故から27年経った1970年(昭和45年)。
碑の近くには、その際に引き揚げられた副砲などが展示されています。
戦艦陸奥の貴重な資料などを展示する「陸奥記念館」も新型コロナウイルスの影響で休館となっていましたが、5月18日から再開しています。
東和陸奥顕彰会の会長を務める周防大島町の椎木巧町長は「新型コロナウイルスが1日も早く収束し来年は慰霊祭が行われることを願いたい。と話していました。
これからもおだやかな海でありますように。